祇園祭の起源に遡ると、24日の還幸祭が最も重要な祭礼である。
17日の神幸祭で氏子町の御旅所においでになった神様が、
単に八坂さんへお帰りになる日ではないからだ。
神幸祭の日の山鉾巡行同様に、午前10時、神輿の行く手を清祓いする巡行がある。
昭和41年(1966年)、観光政策などから巡行路の変更、山鉾巡行の統廃合と過ちを犯しているが、
現在の花傘巡行がそれに当たる。
行列には、こんな風流も見られ、
祇園祭花傘連合会石段下-市役所前-八坂神社と巡行し、
八坂神社到着後(12:00頃)舞踊等の奉納が行なわれる。
そして、同日24日午後5時には、御旅所を発輿(はつよ)された神輿が、
氏子域を渡御し、 神泉苑に向かわれ、疫病退散を願うお祀りをされるのである。
還幸祭の原点と真髄は疫病退散の御霊会であって、
この日神泉苑にて東寺の僧侶による読経の迎えを受け、
黒門三条の八坂御供社(やさかごくうしゃ)で祭典が執り行われるところに表されている。
お祀りを滞りなく終えると、
中御座を先頭に三基の神輿は三条御供社をあとに八坂神社へと還られる。
明日は、往時より京都あげての最大の祭り日・祇園御霊会なのである。
八坂神社に還られる神輿がクライマックスを迎えるまで、
是非、沿道に出て、声援の程を御願いしたい。