神幸祭
神幸祭を知らずして、祇園祭を見たことにはならない。
祇園祭神幸祭の神事が八坂神社で執り行われ、寺町四条お旅所までの神輿渡御の出発となる。
その一足前を先導するのが、久世駒形稚児と神宝である。
これが重要で、スサノオの荒御霊を胸にさげている。
四条通祇園石段下が人垣に包まれている頃、境内では神幸祭と渡御の準備が行われ、
舞殿の周りをまわり、南楼門から出御し、元祇園を折り返し(中御座・東御座)、
東大路に出て、右北に進み西楼門前(祇園石段下)に三基は出揃う。
中御座神輿はスサノオの和御霊である。
二基(中御座・西御座)は四条通を東へ、二基(東御座・東若御座)は東大路を北へ進み、
祇園町を通り、各々氏子町の巡幸路を練る。
先導の久世駒形が四条御旅所に到着すると、
神宝を御旅所に飾る準備がされ、神輿を待つ。
三基の神輿は次々と、神輿会旗を靡かせ、神輿は揺さぶられ、
御旅所に7日間駐輦(ちゅうれん)される。
この場の空気は筆舌に表わしがたい。是非お出かけを。
御旅所は深夜におよび、帰宅には日が変わる。
長刀鉾など23基の巡行終了後からが祇園祭の始まりなのである。
神幸祭の豊園御真榊
豊園御真榊(ほうえんおんまさかき)は、下京区豊園地区に豊園榊奉賛会が設立され「豊園榊」として継承されており、榊を山鉾にしたものだ。榊には他にはない様式の白い御幣が取り付けられている。
7月16日の宵宮に祭壇を飾り、八坂神社神職により清祓い神事が行われ、真榊に八坂の神霊を迎えいれられた。
17日、神幸祭には、神輿の神霊に合一し、神輿の通る道々を清め先導する。
午後4時半頃、会所を出発し、氏子地域内を巡行した後、八坂神社へ向かいます。
神宮道で神幸祭列と合流し、宮本講社神宝奉持列とともに、三座の神輿の石段下にが集結、差し上げを先導した。
神輿巡行と合わせて、宮本講社神宝奉持列は四条御旅所にそのまま向かい、神宝奉持、飾り付ける。再び、八坂神社に戻る。
豊園御真榊行列は中御座に供奉、巡行する。
神幸祭を知らずして、祭を語るべからず
祇園祭神幸祭の神事が八坂神社で執り行われ、寺町四条お旅所までの神輿渡御の出発となる。
その一足前を先導するのが、久世駒形稚児と神宝である。
これが重要で、スサノオの荒御霊を胸にさげている。
四条通祇園石段下が人垣に包まれている頃、境内では神幸祭と渡御の準備が行われ、
舞殿の周りをまわり、南楼門から出御し、元祇園を折り返し(中御座・東御座)、
東大路に出て、右北に進み西楼門前(祇園石段下)に三基は出揃う。
中御座神輿はスサノオの和御霊である。
二基(中御座・西御座)は四条通を東へ、二基(東御座・東若御座)は東大路を北へ進み、
祇園町を通り、各々氏子町の巡幸路を練る。
(本年平成25年は京都市役所前にて中御座差し上げ、大船鉾の祗園囃子で迎えられる予定)
先導の久世駒形が四条御旅所に到着すると、
神宝を御旅所に飾る準備がされ、神輿を待つ。
三基の神輿は次々と、神輿会旗を靡かせ、神輿は揺さぶられ、
御旅所に7日間駐輦(ちゅうれん)される。
この場の空気は筆舌に表わしがたい。是非お出かけを。
御旅所は深夜におよび、帰宅には日が変わる。
これから、今日からが祇園祭の始まりなのである。
三若みこし会会頭の神幸祭
襷が授与されると、男は恭(うやうや)しく受け、名実ともに「祭り男」の頭となったのである。
これが祇園祭だ!
ここで三基と東若御座が、6時半頃より順次「差し上げ」と「差しまわし」を行い、神輿渡御出発式となる。
石段下では、中御座、東御座、東若御座、西御座が入り、「差し回し」が行われる。祭りコミュニティの結束は固い。どの男達の顔も誇らしげである。
観光イベントにはない、地域の熱が伝わってくる。 更に地域の若者の参加をや子供達の参加を促していってほしい。気力のない現代の特効薬がここにはある。 そう感じたのは小生だけではあるまい。市長・知事の挨拶が行われた。市長は何を感じ取ったであろうか。
二基(中御座・西御座)は四条通を東へ、
二基(東御座・東若御座)は東大路を北へ進み、祇園町を通り、
各々氏子町の所定コースを練り歩いた。