神たちの神幸渡御、神輿洗式終え、
惜しまれつつ無事納まりました

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7月28日午後9時半頃、南楼門西側の神輿庫に格納され、拭われ、結界が張られた3基の神輿。

7月28日、午後8時中御座神輿は舞殿から担ぎだされ、四条大橋で神輿洗式が行われた。
7月10日に始まりの神輿洗式で神輿庫から出され、今年も神幸祭、還幸祭をへて、京の町を祓い清めた。
午後9時過ぎ、全ての神事を終え、東御座、西御座神輿とも、三社は神輿庫に滞りなく収納された。

ついに終わる祭の最後に、来年まで身体に神輿の重みを刻み付けるかのように駕輿丁は神輿を激しく揺ぶり、振り続けた。
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時を遡ってこのクライマックスまでの先人が形づくった手順をみたい。

日が落ちて、、

道しらべの儀(大松明)

午後7時、「道調べの儀」が行なわれます。道清めとも呼ばれ、神社の御神火で点火された大松明が神輿の巡行路を清める。
大松明は四条大橋の真中で垂直に立てられる。神社に戻り、その火は神輿の前後を照らす松明に移される。

四条大橋の上で立てられ、回される、道しらべの大松明. 「まわせー、まわせー、まわせー」が繰り返された後、帰路についた
四条大橋の上で立てられ、回される、道しらべの大松明.
「まわせー、まわせー、まわせー」が繰り返された後、帰路についた

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4本の松明に火を移す

神輿洗式 出発。

大松明からの火が松明に移ると南楼門をくぐった。
菊水鉾のお囃子が二軒茶屋で松明、中御座を見送る。

詳しくは「始まりの神輿洗い 2013年7月10日」で
http://kyotocf.com/gionsan2013/the-10th-of-july_mikoshiarai/

石段下に戻り大きく差し上げられ、神宮道、南楼門から境内に入る。
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神輿洗式 帰着。

神輿洗式式から戻ると、本殿参拝の後、舞殿前で格納前の神輿振りが始まった。
神幸祭の御旅所前で、還幸祭での本殿でのそれらと劣らず、激しく、悔いなきように揺さぶった。
おそらくは、今は空の神輿ながら神との合一恍惚を感じているらしい駕輿丁たちが見て取れた。

格納、手締め。

午後8時45分、中御座は神輿庫に戻され、丁寧に拭われた後、来年を待つ。

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よいやさぁー、の、、よー。

三基の神輿を神幸渡御した、中御座の三若神輿会、東御座の四若神輿会、西御座の錦神輿会が無事の終了をねぎらい、手締めした。

この日の日没までには、、

神輿の飾りを取り外し

神輿洗神事の当日午後、三基の神輿から、鈴、鏡、飾り網、鳳凰などの飾りを取り外して、神輿庫に片付ける。
午後4時頃には、中御座は鳳凰(大鳥)を残して六角の本体を見せており、東御座、西御座の取り外しが行われていた。
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大方の飾りが外された。

装飾なく金、黒2色となりさらに神々しさが増す3基の神輿
装飾なく金、黒2色となりさらに神々しさが増す3基の神輿

神輿を格納、移動

取り外しが終わった頃を見計らってが如く、境内は激しい雨に洗われた。
30分ほどして、雨の激しさが治まり、四若の駕輿丁衆が西門から入り本殿を参拝し、祭のフィナーレが始まる。
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時をおかず、中御座を担ぐた轅(ながえ、担ぎ棒)が南楼門外へ、更に舞殿の中御座がそれを追う。

舞殿から二軒茶屋まえに遷され、神輿洗い出発を待つ。
舞殿から二軒茶屋まえに遷され、神輿洗い出発を待つ。

続いて、東御座がおろされ、神輿蔵に収容される。

さらに西御座。

東若御座も運び出され、お囃子方の菊水鉾町衆も本殿参拝、大松明も準備完了。

この日の朝、、

神輿洗いと宮川の神用水

蔵に収める直前の駕輿丁の神輿振りから10時間前、夜8時からの神事に備えその朝、鴨川から神用水がくみ上げ、清祓されている。
祇園祭の神髄に関わるこれらの意義は、下の写真の駒札に端的に説明されているので参照下さい。

さらに詳しく「鴨川の水の神様、神輿」については
水と火が清め、人々は設える「祇園祭 神輿洗いと祈り」(五所光一郎)を参照下さい。
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5392

50mほど先の四条大橋の橋上に神用水のくみ上げ、神輿洗式を示す齋竹(いみたけ)、結界が見えます。
50mほど先の四条大橋の橋上に神用水のくみ上げ、神輿洗式を示す齋竹(いみたけ)、結界が見えます。

今日も神輿洗式の前、夕刻、神輿飾りの片付けをしている最中に激しい雨にみまわれ、鴨川に濁流が流れたようにしばしば氾濫する鴨川に対して治水が重要な行政テーマであったらしい。

大雨による鴨川の氾濫 -> 雨を止ませたい -> あめやみ祈願 -> めやみ地蔵尊で祈願

のながれで、仲源寺は雨が止むよう祈願する為に作ったお寺だ。川の山側で土手の位置にあるのは頷ける。

疫病犠牲者追悼の祇園御霊会、「鴨川の水の神」を讃え鎮める神事の統廃合の歴史の縁起から、神用水のくみ上げ、神用水清祓は、この寺から神官、氏子宮本組、神事関係者が出発する。
神用水清祓の様子は、 http://kyotocf.com/?p=11123

雨奇晴好(うきせいこう) 仲源寺webから。

http://fishaqua.gozaru.jp/kyoto/higashiyama/meyami/text.htm
『人生の激しい風雨に遭いこの地蔵尊の下に額づけば、人生は「雨奇晴好」だ。「降るもよし、晴るゝもよし。」だ。悲運、逆境にひしがれていては駄目だ。研究努力によって、これを克服し、これを生かして、「日々是れ好日」と受け取って、順逆共にとらわれず、行き詰らない、人生を生き技く地蔵菩薩の尊いお力を頂くのです。(略)』

寿福山 仲源寺(ちゅうげんじ)
本尊は地蔵菩薩。目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験あらたか。観音堂の千手観音は洛陽三十三所観音霊場第十六番札所。
京都市東山区四条通大和大路東入ル祇園町東側585-1

参考

[駒札全文] 神輿洗と宮川
祇園祭の神事のひとつである神輿洗式は、八坂神社の神様たちの神輿を清めるため、例年七月十日と二十八日に四条大橋の上で行われる。
神幸祭は七月十七日夕刻から夜にかけて、神輿三基が八坂神社から四条寺町の御旅所へ渡御する重要な祭礼儀式であり、また還幸祭はその一週間後の七月二十四日、今度は御旅所から神泉苑や三条又旅社等を経て八坂神社に還幸する(戻る)儀式である。それらの神事の前後に、御祭神をお乗せする神輿を洗い清めるため、行われる神事が神輿洗式である。
神輿洗式当日の朝には、四条大橋に斎竹(結界を張るための笹竹)が立てられ、鴨川から水が汲み上げられた後、ここでお祓いを行い、清められた水が、夜の神輿洗に使われる。
なお、四条大橋から松原橋(旧五条大橋)までの間を、古くから特に「宮川」と呼ぶが、この宮とは祇園社(八坂神社)のことを指し、神輿を洗い清めたことに由来するとも伝わる。このあたりには現在も「宮川町」・「宮川筋」という地名が残り、花街としても有名である。