後祭巡行の先頭「上り観音山」
文和2(1353)年創建の曳山。「上り観音山」とも呼ばれ、古くは兄弟のような由緒を持つ南観音山と交代で出していた。 後祭の山鉾巡行の先頭をいく曳山である。

平成26年記念すべき復活後祭の先頭を切る
御神体の観音像は楊柳観音座像と、合掌して金剛杵を捧げている韋駄天立像。

平成25年7月17日、合同巡行、後の巡行
これも記念的な御池通り新町を南下で最後の辻回し。
この方角で辻回しが行われることが再び訪れるだろうか。
一卵性観音山 北観音


戦国時代から幕末の禁門の変(蛤御門の変、1864年7月)の年まで、北観音山の六角町と、南観音山の百足屋町は隔年で「観音山」を出していたという。
この梃に使われる角材には天保2年、観音山と刻まれている。つまり1830年に新調された。 歴史と事件ををまたいでいる。
南観音山


山にそびえる松の上は、昨年までは北観音山がハト、南観音山がオナガドリの木彫でした。
江戸時代の絵図の絵と説明文の「北観音山がオナガドリ、南観音山がハト」と逆で、さらに北観音山に伝わる古文書にもオナガドリが止まると書かれていたので本年からそれぞれの鳥が新調されて、入れ変わった。