還幸祭神輿渡御の巡行路表を手に歩く。
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中・東・西の三座が揃うポイントは、 「四条御旅所」を出ると、「大政所」「三条御供社」の二箇所である。
三条御供社から八坂神社までの還られる巡幸路は同じであるが、 御供社までは各々の巡幸路を持っている。

時代とともに変遷はあるものの、外せないところが、
「大政所」「三条御供社」での祭典であることが分かる。
そして、休憩、差し回しする場所も、厳格に定められているのである。
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神宝列に先導され、中御座は寺町を南下すると、高辻を西へ烏丸へと、
まず目指すは「大政所」である。
神輿の前後には、神域を示す結界の縄が引かれている。
 結界の中にいる輿丁は、神の子としての自覚を持つと聞く。
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「蘇民将来子孫也」の護符とともに、神に護られていると信じるものが多いという。

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三若中御座神輿の後に続くのは、八坂神社の宮司さんである。
「豊園榊」の提灯のあがる「京からかみ 丸二」で小休止の接待を受ける。
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そして、中御座の前後には騎馬の神官が行く。
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神饌のある「大政所御旅所(高辻烏丸上る)」に着いた。
 祇園祭の草創期から織田信長の時代まで御旅所だったところである。
 天正十九年(1591)豊臣秀吉の命により、
現在の四条御旅所に、「少将井御旅所(冷泉東洞院)」と統廃合された歴史が残っている。
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三若神輿会吉川会長は神輿を止め、宮司とともに神事の構えとなり、
 厳かに祭典が執り行われ、玉串が奉納された。
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差し上げると、粛々と神輿の道中は練る。
 三若荒田幹事長の下に吉川副幹事長の神輿を仕切る姿が見えた。
カン持ちは、前後四箇所にカン(鐶)があって、四人が引くのだが・・・
格地の傍で金光が、しっかりとカンに結ばれた綱を持つ。
 こうして三若祇藤会も、次代へと継承されているのだなと思った。
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差し回しの場所は八坂へ還るまで、二箇所しかないうちの一番目に来た。
 四条烏丸交差点の差し回しは、さぞハレ舞台であろう。
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衆目を集めることは疑いない。時計回りに舵が切られた。

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三若の長老が、じっと見守る。
 回されている間中、微塵たりとも動かなかった。
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途中西洞院東入るの郭巨山(かっきょうやま)で茶水の接待を受ける。
 堀川を越せば・・・あと一息だと感じる。
車道歩道に後を追う観衆も様々である。
 浴衣や着物での女性の姿は、神の子となっている輿丁にも励みになっていることだろう。

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驚いたことに、四条大宮で「丹波八坂太鼓」の歓待を受けた。
腹の底まで振動が伝わってくる。
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ここで小休止とはいえ・・・鳴り渡る太鼓の音に、輿丁が飛び出してきたのである。
小気味よく踊っている。ファンキーな男たちである。

スサノオも、休憩どころか目を覚まし、この神賑わいを楽しんでいるに違いない。
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これぞ、まさに「お祭り騒ぎ」である。
緊張の糸も切れ、笑いが満場に広がった。
踊りだしたその輿丁の法被には・・・・・「祇藤会」と、はっきりと縫いこまれている。
「神さんも楽しむ、輿丁も楽しむ、
 見に来ていただいている方にも楽しんでいただく。 これは、いいと思いますよ」と。
そう言った輿丁に、踊り手の名前を聞いた。
「野村 守と渡部 卓司です。 毎年、誰か踊り出しますね」
吉川会長が、「是非是非、四条大宮で太鼓の出迎えを聞いてください」
そう仰っていた意図が理解できた。
武骨な男衆も愛嬌があるんだな。神のなせる技か・・・。
四条大宮を後に、次なるポイントは神泉苑である。