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錦水館を出て、カン鳴らしの祇藤会の一団は三条通から寺町通を南下。

kankousai_syuppatu_jyunbi_nagae_12御旅所に着くや三若の十会派とともに、轅(ながえ/長柄)づけに取り掛かった。

奉三会の指導を受け、練習に練習を積んできた若手にとって、成果の見せ所である。

祇藤会での責任感を自覚しだしている中村剛士は、後輩野口亮太を見守りながら、自らの手を進めていた。

中村は不動明王朝乃会に属する修験者と聞き及ぶし、 野口は練習にネクタイ姿でやって来たと、確か冷やかされていた青年ある。

ここでも、共に手を携え神輿を担ぎあげる仲間の絆を感じさせられた。

小生は還幸祭の神輿の巡幸路を確認しつつ、寺町四条下るでその発輿を待つ。
 清々講社の幟旗が動いた。続いて宮本組講社が。 神宝奉持列の巡幸である。
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見覚えのある顔の衣冠束帯姿は・・・前原誠司である。
声を掛けると、後ろの黒服に殺気が・・・
要人のSPが着いていたのである。
 微笑んだのは前原だけであった。
CluFame誌とは初当選来、幾度となく登場して貰っていた縁である。
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あらためて、政治は古くから「祭りごと」と呼ばれたことに、妙に納得する。
スサノオの威力を以って、
現代の厄病を取り払い、民が暮らし良いようにして貰いたいものである。
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この後に、上久世の綾戸国中(くぬち)神社がスサノオの荒御霊(あらみたま)のご神体を携えて、
 和御霊(にぎみたま)の中御座神輿を先導する。
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さて、四条御旅所での祝詞奏上と差しまわしが行われ(スライドショー参照)る頃である。
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「三若の旗振り」を祇藤会の坂根が負っていることは知っていた。
死ぬまで離さないかもしれない気がする。
 しかし、神輿のカン持ちが祇藤会の務めであることは知らなかった。
神幸祭の写真を整理していて、背や腕の縫込みで気づいたことである。
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「カン持ち」は神輿の、いわばハンドル、舵取りである。
前後左右に進む方向は、この綱の引きようで定まるのだ。
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写真に収めたいのだが、輿丁と神輿の動きは早く難しいものである。
法被の名を見るのが精一杯であった。
 全員は無理だったが、小林、格地、山岡、金光の名が確認できた。
聞き覚えのある名前が一人いたが、小生にアピールすることもなかった。
 総じて輿丁に言えることかも知れないが、
みんな武骨で不器用だと思う。
 口八丁手八丁で風呂敷を広げることなどできない、寡黙な男たちである。
その分、思いの丈は深く、純で一徹な男たちと言えまいか。
だからこそ、神輿を担ぐのかもしれない。