なんとその竹の皮の数は5000枚程だという。
いったい、誰がいつその弁当を食べるのか


7月1日13時より三条台若中・三若会所にて「弁当用 竹の皮拭き」が行われた。

三若山田佳孝さん投稿

会所は、中京区今新在家西町(千本三条東南)武信稲荷神社の斜め辻向かいにあり、古くは洛外の下町の真った中という場所。神輿の会所があるのは全国でも三若だけらしく、200年前ごろから会所を設けており、いかに三条台村の男達が誇りを持って神輿に携わっていたのかがわかる。

弁当の写真は、京都三条会商店街HP

さて、弁当とは、神輿の輿丁(担ぎ手)のための食事「神輿弁当」(道中弁当とも)のことだ。
輿丁の男達は神輿や松明を担ぐだけではない。自分たちの祭り当日の弁当を作り、更にその弁当を包む竹の皮拭きまで行なっている。晴れの舞台、祭当日まで2週間以上も前の日から日曜日返上で自分たちの手でやっている。

「竹の皮拭き」とは神輿当日に神輿弁当を包む竹の皮をきれいに清掃することである。
水布巾で丁寧に両面を拭き取り、300枚単位でカゴに入れて 風通しのいいところで乾燥させる。

この竹皮は真竹のもので、今春の皮であるという。それを、逞しくもゴツゴツした男たちが黙々と拭いている。
黙々と手際よく、ナリカンを、轅を突き上げるあの腕で、女性に頼らず、自らの手で旅支度を行うかのように。

全部で5000枚。十七日神幸祭と二十四日還幸蔡の両日各2500食分である。
十七日と二十四日の祭の当日になると、早朝七時頃より「弁当打ち」が始まる 。

炊き立てのご飯を特別に作られた杓子に盛り、広げた竹の皮に叩き付けて(弁当打ちの由来)移す。

「黒胡麻塩をふりかけ、それに沢庵と梅干を加える質素なものですが、大変に美味。」と祇藤会藤井まさとさん。

一日に二千五百食前後を昼までかけ、精進潔斎した男衆の手のみで作られる。
二十四日は、「疫病祓い」「安産のまじない」として地元氏子の方々にも振舞われている。
(弁当の写真は、京都三条会商店街 http://www.eonet.ne.jp/~sanjo/ でどうぞ)

まさに祭の朝、待ちきれるものではない。
「精進潔斎した男衆は三若みこし会の輿丁、当日も朝7時に開始らしいのですが、待ちきれなくて 相当早く行かれる方もいるそうです。」

「幅の広い竹の皮は年々採取が難しく入手が困難になってきている」と、

三若本部の方は頭を悩ませている。

伝統を維持していくというのは物心両面大変である。

こういった、祭の準備を通して古くからの祭りやしきたりなどが伝承されてゆく。長老から若者が学び、それをまた次の世代に引き継ぐ。

これが、日本全般にさまざまな所、場所、家で途絶えつつありことはあきらかで、伝統文化が床の間に飾られ、書籍の中にしまわれ、日常から無くなってゆく。秋入学の大学制度が行われるのなら、卒業してからの半年間、自衛隊体験入学ならずとも、村(地域)社会でのしきたり、生き方、文化をみっちり教える時間に充てるのはどうだろう。

 

「成人のお祝い」に何千人も一同に集めて、偉い人が話したり、タレントショーを見せるより、こういう会所(自治会館なら結構な数か)に小単位で来てもらって「この国での暮らし方を教えたらいい」という意見に賛成の方も多いようだ。

 

雄弁に能書きをたれることなく、寡黙に行動する男達。
「神輿」の二文字、「三若」の二文字の下、馬鹿と呼べるほどに一致団結する男達。
一心に竹皮を拭くその額の汗に、純な心の奥底を見た。