若者の笑顔と絆

三若祇藤会のホームページを見ていて驚くモノを発見した。
(トレーニング、練習風景を紹介しているページの下段アタリ http://www.gitoukai.com/training2012.html

屈託の無い青年達の笑顔、そしてその胸板の厚さ。駕輿丁の集団とは言え、普段は普通の市民生活を営んでいる都会の若者なのに重労働で日常的に鍛えられているかのような筋肉質の肉体。コレを見たら、今時の女子でもいちころなんでは無いだろうか。

中央で一際肩をイカラせ、見るからに親分肌の青年。祇藤会の創世時期の奥田会初代会長の奥田哲朗氏。残念ながら、十数年前に無くなられ故人となられた。通称哲ちゃん。奥田氏が経営されていた飲食店「藤六」は、東洞院六角の西北の角っこ(現藤六ビル)にあった。普通盛りでも食いきれない程の具材とうどんでその単品だけで満腹になった。ごっついうどん椀を大将とは対照的な華奢で小顔の奥さんが運んでくる。
平日の夜や土曜日にしか出されなかった藤六のラーメンはチョイ甘めのだし風味濃い醤油あじで1センチ厚はあったチャーシューがどかんと乗っている。
今頃の時期は、そのチャーシューとこれまた分厚い卵焼きがダブルで上に乗った冷麺かどちらにしようか悩みながら、藤六の方から風に乗ってやってくる仕込みの匂いをかぎながら机に向かっていた、のを思い出した。ため息が出る程懐かしい。この写真を見て、大将には申し訳ないが、その匂いと醤油のあじを今現実に前にあるがごとくに感じた。

なつかしさが想い出を連鎖させた

そうや、藤六ラーメンの写真を探そう、と思いたちパソコンの中や、本棚を検索する。残念ながらラーメンの写真は無かったのだが、更に想い出深い物があった。
雑誌京都CF(ClubFame時代)に、京都人に彼らの思いでのある古き昭和な感じの町並をあるきながらそぞろ歩くコーナー「すいばほっこり未知標(みちしるべ)」があった。藤六の大将にお願いして三条、六角あたりを歩いてもらった、そのときの記事。1993年10月号だから20年程前だ。上の写真から30年程経っているのだろうか。昭和16年生まれで52歳のときのようだ。記事の中の写真には細かくは映り込んではいないが、中京郵便局の筋向かいのお家にずかずかと大将が入って行ってその家の人が親戚かのように遠慮する事も無く、古い京町家の隅々まで説明してくれた。都会のど真ん中だが、そんな絆が三条台村にはあったのだろう。

節々の祭り事が

そんな隣近所の絆が、祭りや歳時を脈々と守っている京の町衆のエネルギー源のひとつのようだ。それをあの1枚の写真が直接には参加していない我々に一瞬の内に伝えてくれた。文化財級の価値を感じる。

そういえば、祭りの日には藤六はお店を閉めて、そこから若衆達がわらじを締めて出立してた。
文句無く祭は商売より大事なのである。

【三若】(さんわか)三条台若中
http://www.sanwaka.com/
三若祇藤会
http://www.gitoukai.com/

「すいばほっこり未知標(みちしるべ)」
第28弾 哲ちゃんの六角・思い出の街角編
(全文PDF 5ページ)

http://kyotocf.com/cfsearch/show_pdf_direct.php?file=SHM_112_199310.pdf&seq=12788&se=2