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24日の弁当打ちの朝、三若の会所で見たものは神輿弁当だけではなかった。
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会所の奥の間に行くと、神輿会本部の者の手が動いているのを見た。
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縁に置かれた稲を束にし、本数を数えているではないか。
手元に置かれていたメモを見た。
そこに記されているのは、三若の文字だけではないのである。
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三座の分を、ここですべて準備しているのかと尋ねた。
「昔からそうなんですよ。今は、三座の輿丁のみなさんに、しっかり担いで貰ってますからね。」と。
神輿の屋根の頂上につけられる「御稲」は、丹波にある八坂神社の神田で育てられたものだそうだ。
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三若の輿丁には、宮入後に一本づつ授与できるよう、みこし会の会派ごとに分けていた。
その御稲は茅の輪のようにして、家の玄関口に掛けるのが習わしとされている。
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その時、祭礼に関係する者に授与される、 「茅之輪守」(「蘇民将来子孫也」護符)とともに掛けるのである。
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八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、
 一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなした。
 蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、
「疫病流行の際『蘇民将来子孫也』と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめる」 と約束された。
これは、その故事に因んだ護符なのである。
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榊に祓いを受けた護符が一葉づつ取り付けられている。
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その作業は三若神輿会の役員の者たちで行われていた。
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その顔に見覚えがあった。
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吉符入りのとき祭壇の前に居並び、 神幸祭の時に黒紋付を着、あるいは袴姿で拝殿にいた男たちである。
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午後、四条御旅所に出かけると、やはり、その男たちがいた。
 蔭に日向に、祇園祭の祭礼奉仕への頑ななまでの実直な姿を観た。
それが、祇園祭に関わる誇りとなっていることに間違いはない。
 肩にかかる三若神輿会、中御座神輿の襷は、その勲章なのだろう。